2002年12月19日に小生が受けた宇宙からのメッセージは色々な方の手を経て伝道者に送られました。
小生が伝道者に送った手紙には21世紀への平和への願いが切実に込められていました。
そしてこの問題を解決するにあたっては伝道者以外にいないと言う事も核心を持っていました。それは小生が受けた天の声、宇宙の声に基づく不変のものでした。
しかし、その手紙は大宗教団体という得体の知れない大組織の伝道者をブロックする人々の手によって抹殺されました。
その伝道者に面会や手紙を届けるには大掛かりな細工が必要で、ある人は高額な手土産が必要だとか、又 伝道者の喜びそうな物を持参する必要があるとか言う人もおりました。
しかし、小生はこの伝道者に届ける手紙を書く前に最小限度の大宗教団体の資料を頭に入れました。
それによると宗教団体は金の為に動くのではなく、過去の聖人の教えを忠実に世に広める事が目的と言う事でした。
そのような事等を十分認識した上、小生は2002年12月20日に伝道者に天の声、宇宙の声を届けました。届けるにあたって小生はその紹介者に伝道者に対しては高額な手土産は持参できないが、小生は天の声、宇宙の声に誓って5つつの約束手形を切る約束を致しました。
その事は後で出てきますのでここでは述べません。

さて、小生の2003年初夢の話に致しましょう。
小生の届けた書簡は無事伝道者のもとに届けられました。
それを見た伝道者は今まで自分が実行したくても出来なかった事がやっと実現できるのかと大いに喜び部下に命じ、早急に吉本日海との面談を決定いたしました。
2003年1月00日大宗教法人のお寺で伝道者と吉本日海との面談が行われ、そこで吉本日海より伝道者に届けられた手紙の趣旨の説明がありました。
伝道者は今まで自分が行ってきた全ての行為の集大成である宇宙の声の代弁である「平和宣言」を行う事に何のためらいもありませんでした。
早速その日から吉本日海をリーダーとしてプロジェクトチームが作られることになりました。吉本日海は大宗教団体の中から選りすぐりスタッフを集めました。
それは伝道者の護送チーム、宗教法人への広報宣伝チーム、政治団体に対しての政界戦略チーム、各マスコミに対する世界広報宣伝チーム、世界の重要人物・学識経験者等に対する文書作成チーム等緻密に計画された平和宣言達成への強力なプロジェクトチームの誕生でした。
2003年1月00日伝道者の特命を受けた吉本日海は空路イラクに向け単独出発し、フセイン大統領との面談に向かいました。
フセイン大統領に対しては伝道者の個人的な伝手や、宗教団体のプロジェクトチームの手によって面会の承諾を取り付けてありました。
2003年1月00日吉本日海はフセイン大統領との面会を致しました。
その席で吉本日海はこの面会は伝道者の特命を受けて来た事、そして伝道者の世界平和、イラク国民の救命等の趣旨を説明しました。
フセイン大統領はこの説明と趣旨を聞いていたく感激・感動し、心から伝道者のイラク入りを望むメッセージを吉本日海に託しました。
吉本日海は伝道者がイラクを訪れる条件とし、伝道者が掲げる「平和宣言」を無条件で受け入れる事を要求し、フセイン大統領は当然のことのように無条件受け入れを承諾し、承諾書を吉本日海に託しました。
2003年1月00日プロジェクトチームの全ての体制が整い伝道者がイラクを訪れることが決まりました。
しかし、この事は超極秘事項とされ、プロジェクトチーム以外の人間には一切極秘の内に進められました。
何故ならばその事がアメリカに知られた場合、我々は暗殺されるかもしれなかったからです。
2003年1月00日伝道者は吉本日海及び通訳を伴い極秘裏に成田空港を避け、福岡空港より空路イラクに向け出発いたしました。
それは一部は仮装し又、エコノミークラスを使って乗り継ぎ便での旅でした。
無事誰にも気付かれる事無くイラク入りした伝道者一行は早速フセイン大統領との面談に入りました。
事は急を要しており、物事は事務的に進められました。
そこで伝道者は自分の考えている世界平和観について語り、自分が今まで行ってきた行為について理解を求めました。
フセイン大統領は世界で語られているような悪人ではなく、自分も平和については十分認識しており伝道者の考えにいたく感動し、ここに伝道者が最後の集大成として持ち込んだ7つの平和宣言に全て同意する事になりました。
伝道者の用意した7つの平和宣言に両氏のサインがされ、ここにイラク発世界平和に向けた「平和宣言」が調印される事になったのです。
伝道者はフセイン大統領に対し、大至急イラク国民にその事を伝え、日本より百万人の賛同者がイラク国民の盾となる為にイラク入りするので一般家庭にその人々を快く受け入れるようにお願いいたしました。
フセイン大統領は早速マスコミを通じその事を全国民に通達いたしました。
イラク国民の歓迎振りは予想を上回った物でした。
一両日中に全ての家庭に受け入れ態勢が整いました。
それを見届けた吉本日海は日本で待ち受けるプロジェクトチームに対し、作戦遂行の指示を出しました。
まず、テレビクルーを含むマスコミ班が衛星放送システムを持参しイラク入りいたしました。
この事は伝道者のこれから行う行動全てを全世界に発信目的がありました。
日本国内では全ての宗教団体員に対し伝道者の取った行動の趣旨を伝え、趣旨に賛同する者はすぐにイラクの伝道者の下にはせ参じるように伝えました。
これは強制的なものでなく自主判断に任せられるものでした。
旅費が無い人達に対しては宗教団体の資金が当てられることになりました。
世界の指導者、学識経験者対策チームは伝道者のとった今回の行動について手紙やメールを通じ理解を求めました。
政治家対策チームは今まで秘密裏に進められたこのプロジェクトの趣旨説明すると同時に政府と対策を準備するようにお願いしました。
日本国内の全ての政治家の驚嘆振りはすさまじく蜂の巣をつついたような大騒ぎになりました。日本国内の騒ぎを知らずかイラク国内では受け入れ態勢と世界に向けての「平和宣言」発表の準備が着々とすすめられました。
2003年1月00日イラクの空港は数十万人と言う到着客の対応に追われました。フセイン大統領の命令によりその人々のビザの取得や入国審査は無く、それは事務的に且つスムーズに進められました。
その数は予想を上回り、マスコミの宣伝も功を奏し、日本以外の世界各国の人々の賛同を得、数十万単位の人々がイラクに到着しました。その中でもアメリカ宗教団体の有名歌手のH・H率いるアメリカ人平和主義者50万人のイラク入りは世界を驚嘆させました。
すでにイラクには数百万人の世界の盾となる人々が到着し始めました。
しかし、当イラクには経済封鎖の為食糧等が極端に不足している為その対応に追われることになりました。
そこで、吉本日海は日本で待機しているプロジェクトチームに対し政治家より政府に対し日本国民の生命を守る為の人道的援助の食糧及び日用品の緊急援助を要請するように指示を出しました。
政治家団体は早速政府与党としての立場を利用しイラクに対し、三百万人分の緊急食糧・医薬品・日用品の援助を決定し、自衛隊はその準備に取り掛かりました。

すでに伝道者の下には日本をはじめ世界から三百数十万人の人々が取り囲むようにイラクに到着致しました。日本からの人道援助物資も次々と到着し、それと同時に近隣のイスラム圏からも様々な援助物資が届けられ始めました。最初は出遅れていたEU各国も人道援助として食糧や平和部隊を送り届けてきました。
全ての舞台装置は整いました。
2003年2月00日世界に向けて「平和宣言」を発する時が訪れました。
フセイン大統領と伝道者はアメリカが核兵器を製造していると言いがかりをつけている場所において7か条の平和宣言を世界に向け発信いたしました。
それを取り囲むイラク国民を含む数百万人の歓喜の声はイラクの天空を揺るがしその声は宇宙へと届いた瞬間でした。
世界はこの事を契機に一気に対アメリカに対し、憎悪の目を向けるようになったのです。
ここに伝道者の集大成が終結した瞬間でした。
一人の人間の力が世界最強の武器を持つ軍隊を打ち負かした瞬間でした。又、その瞬間がアメリカのブッシュ大統領の政治生命の終焉の時でした。
アメリカ世論も世界の世論に追順するように一気にイラク攻撃の不当性を説き始めました。
ブッシュ大統領は自分の行った行為の愚かさにやっと気づきペルシャ湾やイラク近郊に待機させていたアメリカ全軍に対し全軍撤退の命令を出しました。
ここにアメリカ一国一強主義の手によって行われ様としていたイラク戦争とそれに伴うであろう第三次世界大戦は避けられたのです。同時にその動向を見ていた北朝鮮も自分達が行っている行動の愚かさに気づき、平和の使者を受け入れる決意をするこ事になりました。
無事使命を達成した伝道者は数百万人の歓呼の声に送られてイラクを発つ日が来ました。
この日こそ世界の人々が待ち望んでいた新世紀を開く世界のリーダーの誕生であり、新世紀に相応しい新しい宗派の誕生の瞬間でした。
伝道者を待ち受ける日本国内は騒然となっておりました。
国内世論は宗教団体と政治家に対する認識を一変させ、それは世界宗教学会と日本国民党へと変わって行ったのです。
内閣も大変動の荒波を受ける事になりました。
今まで口先ばかりで何もできなかった政府与党への風当たりは強くそれは解散総選挙へと突入せざるを得なくなりました。
国民世論の声はもはや固まっていました。
以前ある党首が「山が動いた」と言うせりふを使って有名になりましたが、今回はもっと大掛かりな物でした。
「日本列島が動いた」のです。
総選挙の結果与党は撤廃し、新政党が単独与党を占める勢いになってきました。
ここに戦後続いた一党一強政治は終焉し、21世紀に向けた新たな政界編制が行われる事になったのです。
日本国経済はこれを機に立ち直りの機会をを得ました。
日本国民族の誇りが蘇ったのです。
第二次世界大戦後、国民揃って国家を建て直したときのように。
それに追い風を与えるような大きなお土産を吉本日海はイラクから取り付けてきておりました。その事は伝道者には秘密裏に行われた事でした。
伝道者の世界平和の望みと同じように吉本日海は日本国経済の再生が望みでした。
吉本日海が秘密裏にフセイン大統領と交わした約束は大変なお土産でした。
それはイラク政府が今後5年間に渡り日本の消費する石油全てを無償援助するという壮大な約束でした。
イラクにしてみれば一生アメリカに石油利権をのっとられる事を考えればそのような約束はたわいも無いものでした。
しかし、日本にとっては5年間石油がただで使えると言う事は日本経済の決定的な建て直しを意味する物でした。
新政府はその約束をもとに日本国民に対し、1年間は石油製品の無償提供を約束したのです。それはガソリンや、電気料金等石油に関わる全ての無料化を意味しておりました。
これを契機に日本国は1980年代の本来の日本の姿に戻ることが出来たのです。
吉本日海はそれを見届けた上で最初にお話した伝道者に対する約束手形の支払いをする事に奔走する事になったのです。
しかしその事は全世界の人々や全日本の人々から暖かい祝福によって届けられる物でした。

最後になりましたが、小生が伝道者に切った約束手形は以下の5点です。
   1、       ノーベル平和賞

2、       文化功労賞

3、       文化勲章

4、       勲一等瑞宝章

   5、       天皇陛下からの感謝の御言葉

以上です。

               前のコラムへ | 目次 |次のコラムへ


ニュージーランドコラム目次